(有)常盤家具製作所(福山市曙町二丁目四―一三、資本金八百万円、西井昭雄社長)はこのほど、高齢者や障害者向けに手すりを付けた「サポート家具」を独自に開発、八月一日からインターネットでの全国販売を開始するとともに出荷を始める。
サポート家具は背の低い整理ダンス(チェスト)三種。高さ九十四・三センチ、奥行き四十六・七センチは共通で、幅が九十センチ、百二十センチ、百五十センチの三種ある。希望価格は十二万三千円から十八万六千円。
サポート家具の手すりは家具の上部に設置。力を入れて引いても転倒しないように、新しい器具を考案(実用新案申請中)、家具の下(床や畳)と背面を器具で簡単に止められるようにした。家具の重みが転倒防止の力として作用するため、根太のない場所にも家具を設置できる。
年内にも扉付き収納ダンス(キャビネット)や食器棚などを追加してシリーズ化させる。同シリーズの来年度の売り上げ目標は一億五千万円。
同社ホームページはhttp://www.tokiwa-kagu.co.jp
(株)グリーンヒルホテル尾道(尾道市東御所町九―一、酒井源三郎社長)は七月七日からフロント係の制服をアロハシャツに変更、九月中ごろまで清涼感を夏季のお客に提供する。
フロント係はこれまでスーツにネクタイだったが、女性はアロハシャツに白のスカート、男性はアロハシャツに白のスラックス、男女ともにスニーカーのリゾート感覚あふれる服装とした。
同ホテルの酒井社長は「フロントから尾道水道が見える立地なのでアロハシャツが似合う。お客さんにもリラックスしていただいているようです」と話す。
また、同ホテルは二階入り口近くにあったパンコーナーをケーキ屋「ナチュレ」として十五日にオープンさせた。
なお、同ホテルでは二人以上の予約で利用できる生ビールフェアを開催中。一人四千円でオードブル料理と生ビール・ソフトドリンクが食べ放題、飲み放題(税、サービス料込み、二時間程度の利用)の内容。問い合わせはTEL0848・24・0100まで。
安田電工(有)(福山市川口町)の安田護社長はこのほど、無線連絡で近所同士をつなぐ防犯システム「MOCO(モア・コミュニケーション)グループ連絡システム」を開発、営業を開始した。
同システムはもともと家庭内の部屋同士をつなぎ、体調の急変などを伝える既存の家庭用無線装置を、安田社長が改良したもの。最大五軒までの無線ネットワークを組め、危険を感じたらペンダント型の発信機で連絡、グループ内各家庭の受信機がランプ点灯や警報音で異常事態を知らせる。不在の場合に備え、ランプはリセットボタンを押すまで消えない。
携帯ラジオ型の受信機本体とペンダント型の発信機のセットで四万六千八百円だが、今月の三十一日まではキャンペーン価格として四万二千二百円。保守料金は年間三千円。
同社の安田社長が、東京都の一家四人惨殺事件や福山市明王台の殺人事件など近年の凶悪犯罪に憤りを感じ「あの時近所同士で情報網が確立されていれば」と考えたのがシステム開発のきっかけ。どの家庭にもあるコンセントを利用するので工事費用もいらない。既に自宅周辺でネットワークを組み、お年寄りなどに喜ばれているという。問い合わせはTEL0849・53・1355
学校法人上田学園(福山市城見町、上田重信理事長)は来年四月に、理学療法士や作業療法士を養成する「CAC医療技術専門学校」を開校する。
同学園が数年前から当時の厚生省に開校を申請、今年認可された。校舎は、同市引野町の備後ハイツプール跡地を市から敷地として借り受け、鉄筋コンクリート四階建て、床面積は約四千八百平方m。既に基礎工事も進んでおり、十月末に校舎が完成する見通し。
身体能力の回復を図るリハビリを行う理学療法士、心身に障害を持つ人の日常行動能力の回復に向けた訓練などを行う作業療法士を養成する二学科を設け、昼間部各四十人づつ、夜間部も各三十人ずつを定員とし、募集は十一月からの予定。理学療法士、作業療法士を養成する学校は、県東部では三原市の県立福祉大学に次いで二校目。医師会などからも注目を集めているという。
日用雑貨卸で店頭上場企業の(株)サンビックが、同業でしかも同じ店頭上場企業二社と経営統合することになった。
サンビックのこれまでの商圏は西日本。統合企業のダイカ(株)は東日本、同じく伊藤伊(株)は中日本を商圏とする。三社の連結ベース売上高(直近)の合計は三千億円を上回り、国内最大の日用雑貨流通網が出来上がる。
それにしてもここ数年の業界再編はめまぐるしいばかり。尾道市に本社を置く日用雑貨卸の日の本商事(株)が平成十一年にサンビックと合併して二年余りで全国制覇の企業に転身することになった。さながら戦国時代の国取り合戦の様相だ。
九州地区の日用雑貨卸業者と運送業者の十社が合併して(株)サンビックが産声を上げたのが平成二年。広島県、山口県、岡山県の中国筋をエリアに、当時、年商百二十億円を上げていた日の本商事と合併したのが同十一年五月。西日本に商圏を広げ、今年三月に店頭上場を果たしたばかりだった。
日の本商事は昭和八年の創業。先代から引き継いだ社名を捨ててまで廣川英一氏(当時社長)が選んだ道は、二年余りで地方企業から日本一の企業になることで見事に開花した。廣川氏はサンビック株式の六・五四%を持つ筆頭株主だが、代表取締役副社長。社名とともに社長の肩書きにもこだわらなかった。その決断が苦楽をともにした社員はもちろん、一社員として勤める二人の子どもとも喜びを分かち合える結果となった。
三社は親会社へ株式を移し、親会社の株式を各社千株に対してダイカ1.00、伊藤伊2.055、サンビック1.525の比率で割り当て、統合する。
三社の統合で仕入先以上に対応を迫られているのは取引先金融機関。合併を繰り返して成長してきた企業ばかりだから、取引金融機関も多彩。しかし経営統合となれば、取り引きする金融機関の統合もまた避けられない道。業界再編は金融機関の再編も加速させている。
ところで、日用雑貨の卸業は商都尾道の商業史を物語る上でも大きな位置を占めてきた。しかし廣川氏が「尾道で商業を考えることは難しくなった」と述懐するように、栄華を極めた尾道の商業基盤は揺らいでいる。
日の本商事から三社統合に到った物語は、日本の業界再編の動きの中で、尾道の企業が初めて日本一の上場企業に転身したサクセスストーリーとも読める反面、最初で最後かも…という危惧から、商都尾道のエピローグ(終章)とも読める一抹のさびしさがある。(J)