かき醤油、焼き肉のたれなど製造の(株)アサムラサキ(本社=福山市東深津町5-19-27、本社オフィス=笠岡市茂平989、資本金三千六百万円、藤井直彦社長、TEL0865・66・2727)はこのほど、農林水産大臣賞を受賞した再仕込み醤油「紫の君」など三種類の新商品の販売を開始した。
「紫の君」は 平成十年に農林水産大臣賞を受賞、これまでは高級料亭向けに販売していたものを、一般家庭用百五十ml入り卓上瓶にしたもの。二度の醸造により旨み成分が増し、香りも高く色調も鮮やかになる。つけ醤油、かけ醤油、調理のかくし味としても利用でき、汎用性が高いという。標準小売価格は四百円。過去に一l瓶で二百本の限定商品として会員向けに販売したところ、半日でなくなった実績がある。高級食材を扱うスーパーからの要望で商品化した。
白ごまよりも濃厚な味を持つ金ごまをベースにした「金ごまだれ」も商品化。上品な甘さで、しゃぶしゃぶのたれやサラダなどのドレッシングとして利用できる。標準小売価格は二百五十g入り四百円。また紀州南高梅を使った「梅だれ」は、主婦の問い合わせがヒントになったという。梅の酸味や香りを活かし、サラダや冷奴、そうめん、梅焼酎など、多様な料理に合うという。二百五十g入り四百円、三百五十g入り五百円。既に全国に店舗を持つ大手スーパーでの導入が進んでいる。
同社の主力商品「かき醤油」も好調。関東や近畿から一l瓶の大量受注が相次ぎ、昨年末には工場をフル稼働した。二月の売り上げは前年同月比二百%を達成。建設を進めている新工場の一lペットボトルの生産ラインを拡大する計画変更も検討したほどだったという。藤井社長は「関東での地道な営業活動が実った」と話している。中でも六百ml瓶の売り上げが最大だが、それに迫る勢いで一l瓶が増加しているという。同社長は「かき醤油は割高に感じるかもしれないが、汎用性が高く、だしやみりんの利用を控えるようになることから結果的に安くつく商品」と胸を張る。
現在、本社北側の敷地内に建設中の新工場は、HACCPやISOへの対応を視野に入れたもの。三面のテニスコート跡に建設するもので三階建て、延べ面積二千五百八平方m、総工費約七億円。一階は生産ライン二基、そのうちかき醤油六百ml瓶ラインをほぼ無人化し、液体製造から箱詰めまで集中管理室でコンピューター管理する。生産規模は現行の三倍になるが、それ以上に品質管理に重点を置いた工場という。二階は見学者用通路とし、別に見学者用ホールも配置する。取引先への信用拡大や、地域の子ども等一般消費者を対象にした見学会の開催などで、厳しい品質管理をPRしていくのが狙い。五月中に完成、試行期間を得て稼働を開始する予定。
不況を生き残るための自己研鑽を目的として異業種が集う勉強会「備後維新クラブ」が四月からの発足を控え、発起人の(株)山陽テクノサービス(福山市南蔵王町、TEL084・26・0481)田邊敏幸統括部長を会長として現在、設立準備を進めている。
「おのれに勝ち、時代に勝ち、21世紀を生き抜く」ため「自己研鑽し、属する企業、属する地域の発展に貢献」することを目的とする。飲み会やゴルフコンペなど楽しみの要素の強い交流会と違い、デフレ、大型倒産、リストラなど、不況が深刻化する中で生き残り「個々が強くなる」ためにセミナーを開催する。肩書きや会社規模に関係なく一個人として学ぶ。平日の午後七時〜九時の二時間、最低年六回のセミナーを開き、間に会報を発行する。同クラブに賛同した広島総合銀行手城支店内が当初の会場となる。
経営意欲喪失からの倒産や、バブル崩壊以降も経営方針を変えずにやってきたことから起きる最近の倒産事例について、田邊統括部長は「経営者も自分勝手すぎるが、守るべき家族を抱えた社員も、自らが会社を支えていく意識を常に持ち続ける意識改革が必要」と指摘する。
同統括部長は、地場の企業への人材派遣、紹介業の視点からさまざまな経営者をつぶさに観察し、助言してきた。現在、主に求職者を対象に、山陽テクノサービスが配信しているメールマガジンのコラム執筆者でもある同部長宛の返信に目を通すうち、「考えていることを直接声に出して言える場を」と思いついたのも設立のきっかけという。備後の活性化のため「会社によりかかるのでなく、逆に会社を支えてやろうと気概を持つ人が集まって、自分自身のイノベーションを実現する会にしたい」と話す。
自社の専門分野以外のことについて知りたい時、本を買って読む代わりに、地場の各専門家の話を聞くことでより実感、共感でき、地域理解にもつながるとして、現在会員を募集している。会費は会報制作費、郵送費、会場費、飲食費など必要最小限に抑え月額千円、半年ごとに徴収する。退会者には差額を返還する。田邊統括部長は「おのれに勝ち、時代に勝つ人間になろうと思っている人は誰でも参加を歓迎します」と話している。問い合わせ、申し込みは山陽テクノサービス内事務局まで。
厚生労働省系の特殊法人、雇用・能力開発機構(本部・横浜市中区)広島センター(広島市中区大手町2丁目11-10NHKセンタービル13階)が三原市館町二丁目五の旧緑ヶ丘商業高校跡に建設していた「三原能力開発支援センター」が完成、三月二十二日には施工業者から引渡しを受ける。
この施設は、同所の敷地面積三千五百三十平方mに、鉄骨造り二階建て、延べ床面積千六百八十九平方m一階の床面積九百七十九平方mで、二階まで吹き抜けの多目的ホール、研修室1・2の二室、事務室、情報提供支援コーナーなどを設ける。二階は床面積六百八十平方m、ホールパソコン教室1・2の二室、研修室3、喫煙コーナーのあるリフレッシュコーナー、倉庫。
同センターの敷地は三原市が提供して雇用・能力開発機構が建設したもので、広島センターから職員三人とアルバイト一人を配置して四月から業務を始める。四月二十五日には関係者約百人を招いて竣工セレモニーを開く予定。
施設の設計・監理は(株)ティーアンドピィー設計事務所(広島市)、施工は(株)セイム(三原市)、総事業費は約四億二千万円。
同センターは、厚生労働省系では全国初の能力開発訓練施設で、職業能力の多様化、専門化の進展に対応して、周辺地域の事業主、事業主団体、労働省、求職者を対象に、職業能力に関する相談、情報提供等の支援、能力開発の場と機会を提供し、地域での能力開発施策の向上に寄与する。
業務の内容は(1)教育訓練支援事業(2)情報提供事業(3)相談援助事業(4)施設開放事業(5)事業主・団体、企業家等との交流事業が柱となる。
完成したセンターを使う平成十四年度訓練生募集が始まった。
訓練科目は、OAシステム科、CAD科、情報基礎コースの三科で、訓練期間は、OAシステム科、CAD科が三カ月、入所は五月、九月、一月。情報基礎コースは訓練期間一カ月、七月、十月、二月の三回入所月を設けている。
各科、コースとも定員二十人、訓練時間は午前九時から午後三時五十分、土、日曜日及び祝祭日は休む。受講料は無料、入所時に教科書等の軽費が一万円から一万五千円程度必要。入所希望者は公共職業安定所の訓練担当窓口に備えている訓練受講申込書により公共職業安定所へ提出する。
問い合わせは各公共職業安定所か広島センターTEL(082)248・1359
社団法人尾道観光協会(会長=亀田良一尾道市長)の主催する「大骨董市」が三月二、三日の二日間、同市西御所町の県営上屋倉庫の立ち並ぶ海岸沿いの敷地で初めて開催され、骨董や民芸品を販売する模擬店に二日間で約四千人が来場した。
市が管理する二号棟前、約千八百平方mの会場には十六のテントが並び、関西や岡山、九州などから来た業者約三十店が骨董品や古着などを販売。出店には、毎年秋の大菊花大会に出店している全日本美術骨董品愛好会(愛知県)が協力した。
また入口のテントにはチャリティーコーナーを設置。来場者は、業者から寄付された商品に自由な値段を付けて購入する。通常十五万円で売られている鹿の剥製もチャリティー商品として並べられ注目を集めた。売り上げがある程度貯まった段階で福祉協会に寄付する。
同協会では既に第二回開催の準備を進めており、新たに出店を希望している業者四、五社とも話がまとまりそうという。今後は倉庫の軒下に食品販売のテント設置も検討。テントを三十程に増やして総合的な物産市として一層の集客、回遊を図る。
同協会の桶本健二次長は「広島や三次など、市外からの問い合わせも多く、骨董市の集客力は大きい。出店数の増加が来場者数の増加につながる。尾道の目玉イベントとして定着すれば、市内の飲食業者さんも興味を示すようになるのでは…」と手応えと期待を話している。
ベイタウン尾道の三十周年を祝う記念式典が六日、団地内の組合会館で開かれた。祝いに駈け付けた亀井静香衆議院議員もあいさつで「尾道は西日本の交通の要衝。将来は約束されている」と中国横断自動車道尾道松江線の着工を予感させ、不況に苦しむ商業者を景気付けた。
不況が続く日本経済の中でも流通を担う卸業の苦境は特別で、産業構造の変化に合わせて全国的に中堅卸の倒産や再編が進んでいる。メーカーは消費者との直接対話を求め、ITと小回りが効くようになった配送業者を武器に営業力を高め、卸を通さない、いわゆる「中飛ばし」に励み、通信販売やネット販売への比重を高め、卸の在庫調整機能も低下させてる。
そうした逆風の中、必死になって生き残りを模索している組合員ではあるが、体裁こそ簡素ながら「30年の歩み」と題した冊子の中で尾道の商人魂を脈々と伝えている。
卸がまだまだ主流で、日本経済が高度成長期を突き進んでいた昭和四十三年、市内のセンイ卸業者の有志が尾道卸団地設立準備委員会を結成、翌四十四年に広島県東部卸団地設立組合へ発展したときには二百四社が集まる卸の一大組織を成した。
その後、卸の一大組織は多くの変遷を経て協同組合尾道総合卸センターに発展、四十六年十二月十五日に創立され、平田市郎氏(繊維卸の平田商事(株)社長、故人)を初代理事長に組合員九十七社が名を連ねた。
当時、広島県の計画になかった尾道での団地形成が、実現に向けて動き始めたのは、こうした組織形成があったからこそ。全国の卸団地が県や市や商工会議所が中心になって計画を練り、民間企業を組織させたのとは順序が逆だった。
「歩み」の中では、当時の尾道商人を突き動かした源流を「安永の屏風」に求めている。屏風に描かれた美しい尾道のまち並みからは、港まちとして栄えた尾道の商人魂がほのぼのと伝わってくる。当時、人口百万人で世界有数の大都市だった江戸は半分の五十万人が武家だったのに対して、尾道の武士は足軽を入れても百人もいなかったといわれ、一%未満だった。正に商人の町だった。
日本に工業が少なかった明治二十五年、尾道商工会議所の前身、尾道商業会議所が全国で三十番目に設立されたが、県庁所在地に限るはずの政府方針まで曲げて設立したのは全国で堺と米子と尾道の三カ所だけだった。その史実も尾道商人の誇りとして語られている。
広島銀行の原点となった国立第六十六銀行も尾道で設立、合併を繰り返して今にいたった。住友銀行も別子銅山との中継点、尾道に分店を置き、尾道で開いた重役会で銀行業を始める決議を行っており、安宅産業問題で揺れた昭和五十年初頭、国内外の責任者を集めた頭取は「尾道の原点に返ろう」と諭したと言う。
日本経済の根底を揺るがしているペイオフ解禁も来月に迫り、江戸時代からの商人魂を受け継ぐベイタウン尾道も大きな節目を迎えた。この三月は「尾道の原点に返ろう」という言葉の意味(魂)を日本経済が受け止める時期でもある。(J)