びんごトピックス  2002年8月1日号 
 
表紙写真


電子名刺システム「ixs」営業開始

NEC製品販売及びコンピューターシステム開発の(株)パイオニア電子計算センター(尾道市東尾道12-5、入船裕二社長、tel0848・20・3802)は商業建築デザインの森迫事務所(同市山波町243-14)が企画した電子名刺システム「ixs(アイクロス)」を開発し、七月から運営窓口としても活動を本格化させている。
アイクロスは名刺を受け取った人がインターネットを経由して名刺情報(社名、所属、名前、住所など)をテキストデータとして簡単に自分のパソコンに取り込めるようにするシステム。会員はホームページから自分の名刺情報と自己紹介文を登録し、配布する名刺にIDとパスワードを記入する。名刺を受け取った人がアイクロスのホームページにアクセスし、IDとパスワードを入力することで自己紹介文を読んだり、データをEメール(添付ファイル)で受け取ったりできる。またデータはマイクロソフト社のビジネス情報管理の基本ソフトであるアドレス帳に簡単に組み込みができる。
会員は年会費三千六百円(税別)が必要。加入促進策として新会員の紹介者に千円がバックされる営業システムも持つ。
同システムはビジネスモデル特許を申請しており、立案者で森迫事務所代表の森迫賢治さんは「パソコンで名刺(アドレス)管理をする人が増える中で、インターネットが名刺のあり方を変えると思われます。IT時代のビジネスツールとして新しい名刺形態を提案したい」と意欲を語り、営業窓口となっているパイオニア電子計算センターの村上進専務は「名刺を渡すときの話題として効果が大きい。また先進性をアピールできる」と会員メリットを話す。
アイクロスのホームページアドレスはhttp://ixs.jp。請求方法など運営ノウハウを蓄積しながら会員を増加させている。


精彩会が医療・福祉で国内初ISO9001認証取得

医療法人社団精彩会(尾道市美ノ郷町三成1065-1、出資金四千九百五十万円、土橋敬弘理事長)はこのほど、医療、福祉、介護の事業分野を対象に品質管理の国際標準規格ISO9001の2000年版の認証を取得した。
対象となったのは、昭和五十九年設立の土橋内科医院(同所)、平成十二年四月、介護保険導入を機に開設された老人保健施設精彩園(同町三成339-3、入所六十床、通所四十人)と居宅介護支援事業所(土橋内科医院と同所)の精彩会が経営する全施設。開設間もない施設の職員には新人も多く、充実した職員教育の必要性も高かったことから、昨年の五月に認証取得に向け動いていくことを決定。キックオフ宣言は同八月で、サービス品質のさらなる改善、顧客満足度の限りない向上実現のための仕組み構築を目的に、医療、介護など各グループが本業の傍ら勉強会などで認証取得に取り組んだ。
六月に高圧ガス保安協会ISOセンターから認証を取得。その結果専門職を多く抱える施設において、上層部で留まりがちだった情報を、職員全員で共有できる体制を整えるためのネットワーク構築などIT化が推進。また約五十人の職員を共通の理念に向かって動かすためのツールとしての基準が確立、チームの動きとしてのまとまりも良くなり、対外的にも第三者評価による認証で信頼性も向上した。
特徴は、職員全員が携帯する品質管理票。「思いやり、感謝、希望」からなる土橋理事長の経営理念とそれに沿った品質管理方針、さらにそれに基いた品質管理目標と各自の目標を設定。職員の提案から、各自が携帯している品質管理票に書き込んだ品質管理方針、目標を朝礼で唱和するなど、常にISOにのっとった行動ができるよう確認を怠らない。
また業務の中での問題発生を、その後の是正、検証までのつながりで捉え、初期対応、問題の大小の程度など客観的な事実を細かく書き留め、同様の問題が一カ月、二カ月後にも再び発生しないように一つずつクリアしていく体制がノウハウとして確立。見過ごされがちな問題を、問題としてしっかり捉える習慣が付き、日常的に「問題発生の芽」に気付く意識が見られるようになったことから、職員からの意見が積極的に聞かれるようになったという。
土橋理事長は「認証取得はあくまでスタート。三施設全てが同じ理念に沿って動いていけるよう努めたい」と話している。同会ではHPも開設、施設の紹介も行っており、アドレスはhttp://www.seisaikai.or.jp/


三原の浮城窯が渾身の陶芸作品個展を計画

 日本独特の焼物、無釉陶器を創作している白萩庵浮城窯(三原市小泉町甲原2726、рO848・66・2676)の片山雅昭さん(57)が、九月に五年ぶりの個展を三原リージョンプラザ(同市円一町)で開催するため、長女の志野さん(25)と準備を進めている。
 片山雅昭さんが焼き続けているのは、赤松を燃料とし、その高温の炎と灰が直接作品に当たり模様を作り出す無釉陶器。二十五年前に物足りなさから会社員を辞めて陶芸に出会い、中でも無釉陶器から大きな感動を得て昭和五十一年に三原市宗郷町で開窯、同五十八年現住所に転窯した。窯は穴窯と呼ばれるもので、傾斜地を利用した半地下と地上式の二基を併用、温度は約一三〇〇度になる。三日三晩かそれ以上焼き続けるのが理想だが、体力勝負の面も強く、出来上がりを見るのが非常に楽しみになるという。
作品は徳利や花器、壺などで、「武士を思わす感がある」(片山さん)のが特徴。九月十四、十五、十六日と三日間開く、活動二十五周年記念の個展「日本の心」に向け、理想の形状、模様を追求した作品を製作中。これまで個展は五年に一回で、宣伝活動もしなかったが、その魅力に惹きつけられて少なからずファンが定着。日展入賞など二十五年間で「花がなり実がなる土壌作りができた」(同)と、これを機に東京など中央でも積極的に個展の開催に向け動いていくつもりという。
また、美大を卒業した長女の志野さんが後継ぎとなる決意を固め、父雅昭さんの弟子として窯のもりや土練りの前段階を修業中。
志野さんは子どもの頃から粘土と一緒に過ごし、作品を上げると喜ばれる体験に喜びを感じていたという。現在、手びねりやろくろを回す作品にもチャレンジしているが、九月に行われる雅昭さんの個展には、頬のふっくらした、あどけない表情の子どもをモデルにした陶人形約五十点を出展する予定。薬をかけず、土を焼いてしめるシンプルな焼きしめ陶人形は、展示している市内の喫茶店「ロンド」(同市本町、рO848・64・3177)で見た人から注文が入るなど評判。「自分の作品を見てもらいエネルギーや感動を感じてもらえれば最高です」と意気込みを話している。


歌―戸崎フェリーの第四期決算あと1歩で黒字

尾道市の第三セクター歌戸運航(株)(尾道市土堂2丁目10-3尾道商工会議所内、資本金二千万円、佐藤忠男社長=尾道商工会議所会頭)の運営する歌―戸崎フェリーの利用客数が順調に伸び、黒字計上まであと一歩と迫った。
第四期となる平成十四年三月期決算では売上高一千百五万一千円、損失百十二万九千円を計上。運航実績では一日平均百三十八人(前期百二十三人)、自転車及びバイク等の特殊手荷物同じく三十三台(同三十一台)、車両同じく六十二台(同五十四台)と着実に利用者数を増やしている。前期にあったチャーター利用などの雑収入が今期は無く、運航収入が増加したものの黒字までには至らなかった。
歌―戸崎フェリーは向島の東端に位置する歌と松永湾を挟んで沼隈町に接する尾道市浦崎町の西端に位置する戸崎を約三分で結ぶ航路。平日午前六時三十分から午後七時三十分まで三十六往復、日・祝日午前七時から午後六時まで二十二往復を元日を除く毎日運航している。運航は総トン数一九・九トンの小型フェリー「歌戸丸」。昨年九月十三日からは予備船「芸予」を配置して安定運航の体制も整えた。
同航路は地元要望が高く、第三セクターを設立して平成十年十月にそれまでの渡船(人と二輪車のみ)から普通乗用車四台まで搭乗できるフェリーに替えて運航した航路。運賃は大人片道百七十円、四m以上五m未満の自動車同三百円。船を使えば約三分の歌―戸崎間も、歌から尾道大橋と尾道バイパス、松永港を経由した陸走では約四十分かかり、向島と沼隈半島を結ぶ近道としての役割を担っている。



こぼれ話  2002年8月1日号

合併を機に振り返る 尾道という名前の由来

尾道市と向島、御調町の任意の合併推進協議会(会長=亀田良一尾道市長)は合併後の市名を「尾道」とすることで合意した。
「尾道」の名前は山々と海に挟まれた狭い帯のような地形。つまり「山の尾」の道が通じていたので「山の尾の道」が詰って「おのみち―尾道」という地名が生まれた…という説が一般的で、尾道の歴史研究家、財間八郎さんが平成十年の市制百周年を記念して出版した著書「夕映え」でもその説を紹介している。
しかし同じ財間さんの著書「藻塩草」では、港を生命とする尾道から「澪(みお)の道」つまり船の航路から出た名前だろう…とする司馬遼太郎さんの説も紹介しており、もっと別の由来があるのかも知れない。
向島町(杉原孝一郎町長)では最近、「歌島(うたのしま)」を提唱中で、平成十七年二月までの合併後をにらんでPRを始めている。
このほど改定版が出された「有史讃歌」によると、九三五(承平五)年「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」に「宇多乃島(うたのしま)」と記され、一一三七(保延三)年の鳥羽法皇建立の安楽寺院領にも「歌之島」とある。また一三七一(応安四)年に今川了俊が著した「道ゆきぶり」に「やがてこの所を歌のしまといふとぞ」と島名の由来が述べられている。
合併によって尾道市九万三千四百七十九人、向島町一万六千八百八十六人、御調町八千二百十人の合計十一万八千五百七十五人(六月末)の人が尾道の住人となる。これを機に郷土史を振り返るのもおもしろい。

道真公は感謝に御袖を贈り 黄金のカッパは火を吹いた

尾道市の御袖天満宮で夏祭りの天神祭が行われた。御袖(みそで)という名前は、菅原道真公が西遷の折に立ち寄り、麦飯をご馳走になった感謝の印に袖をちぎって与えたという、神社のご神体にまつわる伝説が由来。同神社は文芸の上達を願う人の信仰を集め、境内には山岡鉄舟ゆかりの筆塚もある。
今年は、祭りの余興に初めて大道芸コンテストが開かれ、備後はもとより遠方からも芸に覚えのあるアマチュア芸人七組が集まり、会場と一体になって見事な芸を披露した。
川崎市からはプロの大道芸人、老門一郎さんも飛び入り参加。前日は尾道市内の福祉施設を慰問、境内ではコンテストの合間、客の心をワシづかみにするプロの芸を見せつけた。コンテストの世話役だった高橋貞昭山陽工業(株)会長も感激、投げ銭箱を持って老門さんと会場内を歩き回り、収入確保に汗を流した。
時間切れでそのまま幕引きとなったが、さすが芸人。意気に感じた老門さんはコンテスト終了後にサービス興行。大林宣彦監督の映画「転校生」で知られる五十五段の石段を舞台に、全身を金粉に塗ったカッパに変身、音楽に合わせて口から火を吹くパフォーマンスで帰りかけた観客らのど肝を抜いた(表紙参照)。
樹齢数百年の楠が大きく枝を張った境内。全身全霊で感謝を伝えた黄金のカッパに今も昔も変わらない心の綾のおもしろさをみた。(J)

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