福山市が買収した旧福山そごうビル、福山市商業施設の賃貸借契約が二月五日、福山市庁舎で行われた。
契約したのは天満屋の関連会社で丸田産業(株)(岡山市本町6-36、資本金一千万円、伊原木一衛社長)連帯保証人が(株)天満屋(岡山市表町2丁目1-1、伊原木隆太社長)、賃貸物件は、本館・第一駐車場(地下二階地上九階、延べ床面積七万二千六百七十六平方m)、第二駐車場(七階建て同六千七百八十一平方m)、第三駐車場(九階建て同一万五千八百六十六平方m)、賃貸借期間は十年間、特段の申し入れを行わない限り、自動的に五年間延長し、以後も同様とする。賃貸借料は年額三億円、原則として十年間は改定しない。敷金は三億円、契約締結日は平成十五年二月五日。
施設の名称は「福山ロッツ」、運営は丸田産業(株)。駐車場は三カ所合計で千二百八十五台、営業時間は午前十時から午後八時、レストラン街は午前十一時から午後十時、原則として年中無休、営業開始予定は四月二十五日(金)、出店店舗数百七店舗、従業員予定人員八百人。
ストアコンセプトは「ライフ スタイル バリュー アップ」
名称のロッツは、英語で満載している意味の「LOT」に、究極を意味する「Z」をつなげた造語。ファッション性や感性が優れた多くの情報を発信する拠点にしたいとの意味を込めている。
各階の配置は、地下二階は計画中で、地下一階=「デイリーフーズ&フードコート」、生鮮食品ゾーン、総菜、和・洋菓子、ベーカリー、マツモトキヨシ(薬品等)、しまなみ信金ブランチ店、フードコート、計三十八店舗。地上一階=コムサストア一店舗。二階=「ヤングファッションアイテムズ」、ニューヨーカー、ディップドロップス、MKクランプリウス、他ファッション、雑貨ブランド、計十八店舗。三階=「レディースファッションアイテムズ&スクール」、X|SELL、英会話ジオス、他ミセス・雑貨ブランド、計十五店舗。四階=「メンズ・キッズファッション&アミューズメント」、ザ・スーツカンパニー、ジュニアシティー他十店舗。五階=「ブックス・インテリアアクセサリー&クッキングスクール」、廣文館、ABCクッキングスタジオ、他インテリア雑貨九店舗。六階=「インテリアグッズ」、小田億ファインズ、一店舗。七階=「ファニチュア」、同。八階=「グルメ&書道美術館」、中華、無国籍料理、天ぷら、とんかつ、日本そば、回転すし他、福山書道美術館、九店舗。九階=「ビューティー&ヘルシー」、カルチャーセンター、エステサロン、ヘアサロン他、五店舗。
丸田産業は不動産の管理賃貸業、ボウリング場経営、陳列器具の販売・リース業、リゾートホテル業で、平成十三年度の年商は二十二億円、昭和三十五年二月に会社設立している。
三和鉄構建設(株)(尾道市高須町、中島秀晴社長)を中核とする三和グループが、高齢化の進む中で急速に増加しているグループホーム事業に進出する。
第一弾として、尾道市高須町東新涯4丁目4834-6、尾道東公園南側に「グループホームすずらん」を建設する。
この施設は、同所の敷地七百四平方mに、鉄骨造り二階建て、延べ床面積四百九十五平方m、入居定員は十八人、七月の開所を予定している。
グループホームは、要介護一以上で痴呆のある人で、日常生活が一人では困難で、介護を必要とする高齢者の人が、九人を一グループとして家庭的な環境の中で専門職員による入浴、排泄、食事等の介護サービスを受けながら、自立した日常生活を営む共同生活住居。全室が個室で、建物全体はバリアフリーを導入、リビング、広めの浴室、リビングダイニング、トイレなどを完備、二十四時間体制でスタッフが常駐して介護し、面会もできる。近くの医療機関とも連携しており、家庭菜園も設けている。平均的な入居費用は保証金二十七万円(入居月額の約三カ月分)、居室利用料、管理費、食費(三万五千円)など合計月額九万円。
「すずらん」は、三和鉄構建設(株)、備後道路(株)、(株)三和のグループ三社と中島会長、中島社長ら個人が出資して二月十四日設立する、(株)アーバン・ケア(尾道市高須町五二六七、資本金一千万円、中島正行社長、取締役=中島秀晴、舟橋高見、監査役=鴻池裕史)が運営する。施設の施主は(株)三和(中島秀晴社長)、施工はグループでグループホームやデイサービスセンターの設計、施工実績のある(株)パナホーム備後(同所、中島正行社長)、アーバン・ケアは、施設の運営、従業員教育、入居募集を担当、グループホームの増設なども検討する。今回のグループホーム運営については、社会福祉事業や社寺などの役員を永く歴任している中島正行会長の「高齢化社会が進む中で地域社会へ貢献できる事業を手掛けたい
」との強い要請から実現したもので、社長を務めるパナホーム備後の関連会社ナショナル住宅産業は三年前からグループホームの設計・施工で実績があり、開発したフリースタイルの基本設計やノウハウを蓄積している。パナホーム備後も、同社としては三年前に続いて昨年福山市にグループホーム弟一号の設計・施工を手掛けている。
尾道市での自社運営ホームのほかに御調郡御調町と福山市新市町に同規模のグループホーム二棟を受注して七月から八月にかけて相次いでオープンする。十八人規模の建設費は約九千万円、グループホームの経営相談などを担当するエイジングライフ開発部(田村元一部長)企画段階から支援体制を整えている。TEL(084)926・1575
(株)マエダコーポレーション(尾道市吉和町4502-1、資本金一千万円、前田省三社長)が同所近くの吉和町字森分4810-1、尾道バイパス吉和インター北側に通所介護施設と、地域の子どもから大人までが楽しめるレストランや銭湯、交流コーナー等の複合施設を併設したデイホーム「てご家」の建設を進めている。四月二十六日(土)オープンを目指している。
建設しているのは、同所の敷地八百三平方mに、鉄骨造り二階建て、延べ床面積千一平方m、エレベーターも設置する。一階に事務所、二十五席のレストラン、厨房、床暖房したデイルーム、地域交流コーナー、相談室、二階にはヘルパー資格の取得を目指している二十歳代の若い人が受講する介護教室、他にボランティア控え室、職員休憩室、更衣室、調理教室もありテラスには人工芝を敷き、食事に使ったりバーベキューもできるフロアとして整備する。別棟に浴場があり介助浴室の他に一般が利用できる桧風呂、岩風呂の三室を備えている。
デイサービスの通所介護事業では利用者の送迎も行い、ホームヘルプサービスの訪問介護事業も行う。ヘルパー資格取得のための介護指導には同社専務で、介護福祉士養成校、CACヒューマンウェルフェア福山専門学校の尾道教室専任講師を務める前田信代さんが指導に当たる。てご家の経営責任者でもある。
介護を受ける高齢者の家族や地域の人が利用するのは桧風呂、岩風呂の銭湯やレストランのほかに地域交流コーナーやデイルーム、テラス等もグループや団体、家族などが新年会、忘年会、各種の会食にも使える多目的スペースで、カラオケ等も設備している。営業時間は午前八時から午後十時までの予定で、年中無休。約三十人のスタッフで運営される。介護施設に一般客の利用する施設を併設した複合施設は県東部でも初の開設として関係者から注目されている。
施設の設計は宮本剛建築設計事務所、施工は病院や学校などの建築で実績のある戸田建設(株)(東京都)、総事業費は約二億六千万円を見込む。
問い合わせTEL(0848)20・0630、名称の「てご家」は、地元の方言で、手伝う、を意味する「てごうする」から名付けたもの。
障害者福祉と不登校児童・生徒の支援を目的に昨年十二月二十六日付けで法人を設立した、特定非営利活動法人(NPO)自立支援センター若菜(尾道市東尾道6-16、藤本英次理事長、TEL0848・55・0025)は一月十一日、同所へ約三十三平方mの「尾道作業所わかな」を開設した。
同作業所では障害者によるシール張りといった作業のほか、主に不登校児童・生徒を対象にパソコン数台を使ったフリースクールも開講している。また高校生以上向けに大学受験資格が得られる大検コースも開講している。
同法人スタッフは昨年九月ころから有志が集まって不登校児童・生徒の支援活動を行ってきており、塾形態の学習のほか、知的障害者や不登校児童・生徒らとともに農業体験を行うユニークな支援も行っている。
こした農業体験は昨年九月二十二日に初めて行い、これまでに市内の原田町、向東町、浦崎町など五〜六回開催した。バーベキューといった楽しみも織り交ぜ、参加者はみかん狩り、ブドウ畑の下刈り、背丈ほど草が伸びて荒れた畑の回復など多様な農作業を支援者らとともに体験、「もっとやりたい」といった感想を残した。
同法人では農業を非営利活動の柱に考えており、近い将来の社会福祉法人化も目指している。授産施設として障害者や不登校生徒(就業年齢に達した引きこもりがちな高校生など)に農業作業をしてもらい、生産物の販売利益を還元する仕組みを考えている。減農薬野菜などを生産してそのまま販売するほか、漬物加工も行う。大豆も生産、豆腐に加工して販売する。すでに自然食品販売会社との協力体制も整えた。
農業生産を授産施設とする試みと障害者と不登校の子どもたちを分けずに農作業を通じて自立支援する試みは全国でも珍しい試み。
県立保健福祉大学の前岡幸憲助教授も支援しており、藤本理事長は市内で知的障害者通園施設あづみ園を運営する社会福祉法人あづみの森(宇根幸治理事長)の理事としても立ち上げ段階から運営に参画している。藤本理事長の本業は印刷業の(株)創明社(尾道市)社長。「なんで企業人が福祉を…と思われるかも知れません。もともと印刷会社を創業したときも活字を拾う作業を障害者の方にお願いしました。もともと企業は社会に奉仕する組織だと考えています。農業の後継者不足は深刻で、新しい取り組みに好意的です。福祉サービスを受ける方の満足度を最大にするための工夫はたくさんあります」と藤本理事長は経営理念を話している。
福山市と芦品郡新市町、沼隈郡内海町の一市二町が三日、合併して四十万都市の仲間入りをする福山市が誕生したが、合併により、芦品郡は新市町ただ一つの郡だったため、芦品郡という地名が無くなった。
芦品郡というのは明治三十一(一八九八)年に芦田郡と品治郡を統合して生まれた郡名。その昔は多くの町村が属していたようだが、少し前までは新市、芦田、駅家、協和村の四町村となっていた。昭和四十九年に芦田町が福山市と合併、五十年に駅家町が福山市と、協和村が府中市と合併して、芦品郡は残る新市町だけとなっていた。
芦品郡のもとになった品治郡は備後地区でも由緒ある名前だった。文武天皇(683-707)の初年ごろ吉備国から分立したと推定されている備後国だが、平安時代中期の資料「延喜式」によると備後国には安那(あな)、深津(ふかつ)、神石(かめし)、奴可(ぬか)、沼隈(ぬまくま)、品治(ほんじ)、葦田(あした)、甲奴(こうぬ)、三上(みかみ)、恵蘇(えそ)、御調(みつぎ)、世羅(せら)、三谿(みたに)、三次(みよし)の十四郡がおかれている。
その中にある品治は品遅(ほむち)の流れからきており、品遅は古事記の中に「吉備品遅君」の始祖についての伝承記事があるほど備後国の中でも最古の由来を持つ。地名は消えることが多いが、中でも郡の名前は親近感も薄く消えやすい。芦品の名前は明治時代に一足す一割る二の方式で創造された名前だから歴史的な意味合いは薄いが、品治はいずれ新しい地名として検討されるべき名前ではなかろうか。
さて、新市町を取り込んだ福山市には宿題もある。少し前に合併した芦田町と今回の新市町は備後絣の源流といえる地域。鉄鋼のまちとして知られる福山の知名をアパレルのまち福山として知られるようにすることは合併後の大きな宿題といえる。
備後絣は江戸時代末に生まれた富田久三郎が創始者。現福山市芦田町有地(昔は有磨の谷迫)で医者の二男として生まれ、十八歳のとき家を訪ねた知人が残した「織絹法」という本をきっかけに備後絣を創始したといわれる。久三郎は本にあった織絹法を近郊でさかんだった木綿織物に応用することを思いつき、工夫を重ねた結果、浮き織りを考案して井桁絣の製作に成功した。輸入物の綿へ取り組みや油紙を使った染色の研究にも熱心で、よそにない鮮やかな絣を完成させた。やがて新商品は「文久絣」として全国へ知れわたり、次第に「備後絣」と呼ばれるようになり、全国シェアを握るほどさかんとなり、昭和初期には年産八十二万七千反にも及んだという。
昭和三十五年には三百三十万反を突破する最盛期を迎えた。その後の絣の衰退は寂しい限りだが、アパレルメーカーの集積は現在でも全国トップクラス。世界の工場中国との競争に苦しむ現況だが、福山藩主水野勝成が綿の栽培と縞木綿の製織を奨励し、富田久三郎の発明で発展したこの地域に、ポスト備後絣と誇るべき大輪の花を咲かせることは、合併により福山市が背負った大きな宿題だろう。(J)