びんごトピックス  2003年8月20日号 
 
表紙写真


多機能自動販売機徐々に浸透

コカコーラ自動販売機でドリンクをプリペイド入金で購入できたり、おみくじなどのiモードコンテンツを購入できるなど多機能なサービスを受けられる「Club Cmodo(クラブシーモード)」に対応する自動販売機が福山で初めて設置されたのが今年の五月。三カ月で利用者の六%が会員となるなど徐々にファンを増やしている。
日本コカコーラ(株)と(株)エヌ・ティ・ティ・ドコモ、伊藤忠商事(株)が提携し全国展開している事業で、携帯電話のiモード専用サイトで「Club Cmodo」会員として登録すると、対応する自動販売機(愛称=シーモ)で現金を前払いで投入できるようになり、額に見合うポイントを得られる仕組み。またドリンク購入以外にもゲームなどの「iアプリ」、着信メロディ、着信ボイス、待受画面、印刷もできる地図やおみくじなどのコンテンツを購入できる。
福山市内では福山ロッツ(福山市西町)の三階と五階のほか、ドコモショップ蔵王店(南蔵王町)、天満屋ハピータウンみどり町店、メディア21引野店、福山大学に設置している。現在会員は利用者の六%。福山ロッツ一階入口付近でイベントを行うなど、メリットを強調しながら会員登録を呼びかけている。
コカコーラウェストジャパン(株)によれば、今年度内に県内に百台、三年間で計三百台を設置する計画。


Idiが第3者割当増資実施

Iネットを利用したシステム開発で全国展開する(株)インターネット開発研究所(Idi、福山市春日町1-2-53青盛ビル三階、資本金二千五百三十五万円、井上一成社長)は七月三十一日、VCとして多くの企業を上場させている日本アジア投資(株)(JAIC、東京都)を引受先に第三者割当増資を実施、資本金を一千三百万円から二千五百三十五万円に増資した。
JAICは最近十二年間で国内外で百十を超える企業の上場をサポートしているベンチャーキャピタル。Iネットを利用した業務基幹システムの受託開発から始め、それらをパッケージ化したシステム開発に転換し、中小企業が低価格で利用できるようASP方式で提供するIdiの製品開発技術にJAICが注目、〇七年三月期中の上場を目指し緻密な資本計画を進めているIdiのビジョンと一致した。Idiは、JAICから希望額を大きく上回る割当の引受を提示されたが、今回は希望額通りとし、残りは今後の展開を見ながら随時希望するとしている。
井上一成社長(写真)に、増資の意義と成長市場挑戦への意気込みを聞いた。

■今回の増資は…
全国展開に必要な資金獲得の第一歩。メーンバンクによる、成長分野の企業への融資制度の無担保融資も話が進んでおり、それと合わせて、製品開発費と全国展開のための販促費とします。月次の目標数値を確実にクリアし、それを資本計画に反映させていきながら、メリットのある投資に関しては今後も計画していきたい。
当社では、〇七年三月期中をメドに、東証マザーズ上場を計画しています。上場時に経営者が五〇%以上の株を確保しておくのが理想。新株予約権で株主としての力を強めるため経営者である私自身も積極的に投資します。平成十三年十一月の商法改正で、従来方式のストックオプションと比べ多くの規制緩和が図られたため、新興市場に挑戦する企業が早ければ二、三年で上場できるという比較的恵まれた環境となりました。とは言え、上場直前に新株を実施した際、入金前に所得税がかかるなど、大株主にとっては税制上の不満が残っているのも事実です。

■VCとのバランスは…
VCにも金は出すけど何も言わない、というハンズオフ型と、金も出すけど口も出す、つまり営業支援を通じて経営参加するハンズオン型があります。JAICはハンズオン型ですが、短期間で当社の成長を早めるために周囲の力を収束し活用していくわけです。その際、適確に点検できるよう当社がディスクローズし、そこに外部の諸要因が入ってくることは当然のことだと考えています。投資会社は、投資した企業を上場させるためにグループを挙げて販売支援などの協力体制を構築してくれるわけですから。

■新製品の営業支援システムパッケージについて…
今月下旬には営業支援に必要なツールをパッケージ化した低価格のシステム「ナレッジBOOK」を発売します。顧客管理データベース、簡易入力できる日報とその共有、提案書や企画書など文書管理データベース、営業進捗状況のグラフ化、さらにスケジュール管理や社内メールで情報を共有する高機能グループウェアをセットにした、業界初のシステムです。営業手法や文書など、ベテラン営業マンの持つ情報を新入り営業マンが共有できるツールとして活用でき、時代の変化を読める営業部隊の構築が可能になります。必ず効果を上げていただけるよう、運用コンサルタントとして担当スタッフがサポート、指導します。
受託開発なら数千万円かかりますが、導入費用は二百万円程度。ASP利用なら月一万九千円〜二万九千円です。サーバーは一社に一台のハウジングでセキュリティも万全、管理や保守の必要がないワントゥワンASP方式を採用しています。東京、大阪、広島の業者から先行予約もあり出だしは好調で、来年三月までに六十本の導入を目指します。
企業が本当にほしがっているものは何か。それに答えるのが「ナレッジBOOK」。活用で感動を味わってもらいたい。

■既存製品の現況は…
経済産業省によるとBtoCの市場は昨年が二兆円、三年後には十六兆円。今後もネット通販ソフトが伸びます。当社の「時空商人」で、県内十ユーザーを中心に、集客、マーケティング、顧客管理・維持を一括したEコマースシステムの有効性を理解してもらい始めたことに手応えを感じています。また不動産業向け物件管理ソフトも、ユーザーを地域ポータルにまとめ閲覧者の間口を広げる「おうちネットビルダー」として展開しており、広島を皮切りに岡山、大阪、神奈川で起ち上げ準備が進んでいます。代理店も県内五社、大阪三社、東京二社、横浜一社と重要拠点で増えており、名古屋、福岡の業者とも提携を進めたい。


武田電機工業がISO取得

電気工事の武田電機工業(株)(福山市東手城町2町目1-36、資本金二千万円、清水智博社長、TEL084・943・2355)は七月八日付けで国際基準ISO9001・2000年版の認証を取得した。
取得した業務範囲は電気工事、電気通信工事、消防施設工事の設計・施工及び関連機器の修理・保守が対象。品質管理を一層高め、最善の顧客満足を目指す。認証機関はUKAS。ムーディー・インターナショナル・サーティフィケーション(株)の審査を受けた。
「顧客満足度と信頼を頂ける安心品質の提供」を掲げ、昨年十一月末にキックオフ、今春から本格的に取組み、約半年で漕ぎ着けた。
同社は三原バイパス、芦田川大橋の道路照明設備、リーデンローズ電気設備、校舎・体育館の照明設備など公共工事のほか、地場の機械設備メーカーと一体化した機械設置、生産ライン構築にともなう電気工事を得意としている。従業員は営業、技術、工事、事務までの約三十人。設備に必要な電気設備の設計、制御盤製作も社内でまかない、工事から保守まで一貫した施工、管理を行う。
設備と一体化した電気設備工事の取引先は日本ホイストのマリーナクレーン、北川鉄工所の生コンプラント、シーケイエス・チューキの製材ラインなど多数。今後も実績とISO認証取得で得た信頼を武器に取引先拡大を狙う。
また三菱電機と協力して力を入れようとしている分野が消費電力の省力化工事。三菱電機福山工場が自社工場の電力消費量を三割削減したノウハウをもっており、武田電気工事の取引先にも提案して行く。これまでは一カ月間の消費電力を見ながら節電を考えたが、新しい考え方では計測機器を利用して生産量と電気消費量を一時間単位で割り出し、課題設備の改善工事を実施する。トランスやモーター、空調など最新の節電製品や制御技術を組み合わせる。
清水社長は「設備の改善費用を何年で元を取るか。きちんとデータで示す営業。インバーターなど制御方法を変え、一時間単位で無駄を省くことが可能です。元をとった後は節電分が利益です」と利益体質への改善提案と位置付ける。
麻生一成専務は「電気工事業界の売り上げ規模はバブル期から三割以上縮小しているのでは。一方で社数は増え、就労者は横ばい。つまり会社が小粒化し、現状はその分、単価が下がっている。一定規模の組織が生き残るにはISOなどの信用が重要になる」と取得意図を話す。
同社は昭和二十年十一月に現会長の武田八郎氏が創業。ピーク時からここ数年はリストラを進めているものの、平成十五年三月期決算では売上高六億二千万円、利益約五百万円を計上している。


大日本印刷がカラーフィルター生産増強

大日本印刷(株)(東京都新宿区、資本金千百四十四億円、北島義俊社長)は八月六日、第五世代向け液晶TV用カラーフィルターの増産体制を整備するため三原工場(三原市沼田西町小原73-1)に百五十億円を投資し、製造新ラインを建設すると発表した。
平成十六年四〜六月期の稼働を目指す。来年初めにも稼働予定の台湾の関係製造会社にも二百億円規模の出資を行い、大日本印刷グループ全体の生産能力は世界一のトップメーカーとなる。
三原工場への投資計画は、同工場内の既設の鉄骨造り二階建ての工場棟を利用し、第五世代と呼ばれる次世代向けLCD(液晶表示ディスプレイ)用カラーフィルターの製造ラインを新設する。この工場建屋は約二万八千平方m、このうち約半分のスペースを使いガラス基板の投入から出荷・梱包までの製造基本プロセスを自動化し、フレキシビリティに富んだライン構成とした新ラインを導入し、生産能力は月産で十四インチ換算で六十四万枚となる。
また、台湾の出資した製造会社が月産九十六万枚のLCD用カラーフィルター製造ラインを、来年初めの稼働を目指して建設工事を急ピッチで進めている。
これにより大日本印刷グループ全体のLCD用カラーフィルターの生産能力は、三原工場、大利根工場、ACTI社、台湾の出資製造会社SinTex社を含めて十四インチ換算で合計四百七十万枚となり世界トップの生産能力を保有することになる。
同グループは、今後も、LCDディスプレイ市場の需要拡大、コストダウン、ハイエンド製品など差別化対応要求に応えるため、積極的に生産性の改善と品質の向上、さらにはカラーフィルターの新技術開発も加速させ、高品質で高機能なカラーフィルターの安定供給体制を確立する。
今後、液晶ディスプレイ市場は従来からのパソコン用途に加えて、放送デジタル化の進展に合わせた液晶テレビの需要が急拡大し、画面サイズも十四〜十五インチから二十インチ以上の画面へとますます大型化が急速に進んでいる。こうした動向にLCDパネルメーカー各社は、この需要に対応するためガラス基板の大型化を急ピッチで進めているが、現状は各社とも大型ガラス基板に対応したカラーフィルターの確保が安定生産へのネックになると予想している。
なお、出資した台湾の製造会社は台南化学工業園区の土地約十万千六百平方mに、工場建屋約一万九千二百平方mを建設中。
三原工場は、グループの大日本印刷プレシジョンデバイス(株)(東京)が事業展開している。従業員約八百人、新ライン構築による高卒者採用への期待も高まっている。
大日本印刷は印刷業界で首位、液晶・半導体関連のパネル生産でも世界的。平成十五年三月期の単体売上高一兆一千六十三億四千六百万円、経常利益四百五十三億七千二百万円。連結売上高一兆三千九十億二百万円、経常利益八百八十一億七千七百万円。



こぼれ話  2003年8月20日号

天に昇った名調「財間節」 百年経っても不屈の精神

尾道文化財保護委員会終身委員の財間八郎さん(百三歳、吉浦町)が八月十三日に亡くなった。
百歳を超えても達者な口調で聞く人を驚かせ、尾道の歴史を語るその口調は立て板に水のごとし。次から次へと人名が飛び出し、正確な年数は資料を見ることもなく、詳細このうえなかった。永年にわたる講演活動からその名口調は「財間節」と呼ばれ、多くの市民から親しまれてきた。尾道の文化財を保護する重責を担ったが、市民にとっては財間さん自身が無形文化財といった存在だった。二度と聞けないと思えば、誠に残念。ご冥福をお祈りしたい。
実に多くの人を酔わせた財間節だが、舞台裏にはそれなりの苦労もあった。コンピューターのような頭脳を持っておられたことに間違いはないが、やはり努力をいとわぬ不屈の精神こそが演台での名口調を支えていた。講演前には必ず講演原稿を作成し、講演と同じ速さで声に出して読み、ストップウォッチで計測、何度も繰り返し、リズムごと頭に叩き込んでおられた。百歳近くになってもこの努力を欠かさず、三十分の講演なら原稿用紙四枚半。一時間だと九枚半と目安もはっきりしていた。
恐らくはこうした原稿丸暗記の努力が半世紀近くも繰り返され、財間節は回数を重ねるごとに聞く人の心を捉え、年齢を重ねるごとに驚きを深くしたに違いない。まさに無形文化財とも呼べる講演だった。
市制施行百周年を前にした尾道について「百年も経って、変った尾道と、変ってない尾道があるように思います。近代化された外観、伝統を今に伝える歴史と文化、と申しましょうか。尾道駅前のように大きく変わりつつある現実を見るとき、尾道の今後は商業か、観光か、今は頭が二つあるようだから、そろそろどちらかに決める時だと思います。港と海運で栄えた尾道ですが、現在は船の出入りが激減し、本通り商店街は櫛の歯が欠けたように空き店舗が目立つ。何とかならないか…と気にしています」と憂いておられた。
しかし常に前向きだった財間さんらしく「尾道には若い人達の中にすばらしい意見を持っている人が多い。そういう人の知恵を市民が支えて開花させることです。頭を出す人の足を引っ張るような因習から抜け出し、皆が力を合わせることが今一番必要な時です」とも語っていた。
市制となった翌年に当たる明治三十二年に生まれ、歴史を紐解きながら歩み続けた財間翁の言葉は今後の尾道百年を計るうえでも朽ちることなく生き続けるに違いない。(J)
財間八郎氏▽明治三十二年十月二十一日生まれ。尾道商業学校(現尾道商業高校)を卒業、第六十六銀行(現広島銀行)に就職、一年で退職して小学校教員に。昭和二十八年吉和中学教頭で退職。同三十三年尾道市文化財保護委員となる。千光寺公園内に平成九年、業績を称える記念碑が教え子や世話になった人達の手で建立される。同十年尾道市の市制施行百周年記念式典で特別功労者として表彰。今年二月には定期講演を三百回以上重ねた尾道ロータリークラブから名誉会員として表彰されている。平成十五年八月十三日逝去。

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