尾道は「寺のまち」と言われるが、寺の境内には手水鉢や石仏など石のオブジェがたくさんある。ノミも跡も見事なこれらの芸術作品は尾道石工の技によるもの。
一説では、帰りの北前船は尾道で畳表を積んだが、船底には重い石の灯籠が船の安定に役だったため、積荷に好まれたという。そのためか石灯籠など、尾道石工の作品が遠く北陸方面にも残されているという。
尾道市内には寺にまつわる物のほか、神社、井戸など技を伝える作品も数多く散りばめられている。
■石切場跡
千光寺山から向島を望むと、大橋右手に大きく山が削られた場所がある。ここは石切場のあと。また浄土寺山にも岩がごろごろしており、鎖で岩を登る石槌大権現の修行場(鎖山とも呼ばれる)として岩の存在が知られている。その上には豊臣秀吉が大阪城を築城する際に切り出された四角い残り石がころがっている。
■石の神様
亀山八幡神社(八幡さん)の拝殿に向かって右側には、小さな社殿がある。社殿前の石の鳥居には石の額縁がかかり、「高御倉神社」とある。この神社こそ別名「石の神様」。今でも市内の石工たちは参拝を欠かさない。
■石作品の見方
今の石の加工技術は進んでおり、球形も文字も思いのまま。しかし昔は機械もなく、ノミと金槌でほとんどを彫った。井戸の銘などに刻まれた文字は手彫りの芸術。刻まれた文字を書として鑑賞すれば味わいがある。また石垣などの石組みは隙間のない継ぎ目の美しさが見物。そのほか制作の苦労を想像するのもおもしろい。浄土寺山中腹にある不動岩は、地元の石工も驚く作品。「反り返った岩にノミを当てると石くずが飛び散る。目も開けられなかっただろうに…」と地元の石工は作者の苦労を思いやる。